2021年10月20日(水)

すっかり日が暮れるのが早くなりましたね。春夏秋冬問わず本を読んでおりますが、改めて読み直した本があまりに不道徳過ぎたので、悪い子の読書にお勧めなので、ご紹介。
私の大好きな哲学者ジョルジュ・バタイユが書いた小説集「聖なる神」の第二部『わが母』という小説。
単行本にもなっている『マダム・エドワルダ』は酔っ払った男が娼館で出会った狂った娼婦に神を見いだすというセンセーショナルなお話です。
第一部で女性の持つ最も穢れた性質だと思われる娼婦性に聖性を見出したかと思えば、第二部では母親が清く正しい息子を放蕩生活に引き込むという最も貴いと思われた母性を冒涜的に描いています。
キリスト教においては、性的な快楽は罪であり、自慰行為も罪、同性愛も罪、近親相姦なんて大罪だし、そもそもいやらしいことを妄想するのだって罪な行為なのです。
ちなみに、サディズムの語源にもなったサド公爵は娼婦に媚薬を飲ましアナルセックスを伴う乱行をしたため投獄されていました(決行されませんでしたが、判決は死刑)
キリスト教を熱心に信仰している主人公は、酔いどれの父親が亡くなった後に、母親が極めて堕落しきった女であることを知り、母親のことは大好きだし、乱痴気騒ぎも楽しそうだけど、罪の意識を感じ、只々苦悩し、その様子や心情が全編に渡って描かれています。
穢れなき無垢な存在を穢したいというのが、究極のエロスだと感じる私には堪らなくエロティックな作品です。
それに、背徳に足を踏み入れる危機感や罪の実感がより快楽を掻き立てるところも、ゾクゾクします。
敬虔なキリスト教徒がマゾヒストになりやすいのも納得ですね。
私が好きな母親の台詞を引用。
「知性の快楽こそは、肉体の快楽よりも不潔で、いっそう純粋で、その刃がけっしてさびつかない唯一のものです。退廃はわたしの目には、そのまぶしさに命を奪われる、精神の黒い輝きのように思えます。堕落は万物の奥底に君臨する精神の癌です。堕落するにつれて、わたしの理性はますます冴えわたります」
肉体的快楽だけではなく、知的探究心を求めているところも魅力的です。
なんだか立派なことを言っていますが、レズビアンのお友達との乱痴気騒ぎに息子を誘ったり、自分の快楽を満たすために、素質のありそうな女の子をどんどん自分の世界に引きずり込むのですが、その手練手管も見事で惚れ惚れします。
母の旅立った後に登場する女性も、鞭を振るうし、お小水飲ませるの好きだし、マゾ男目線でも興奮要素が満載です。
この作品を三島由紀夫も「堕落の教養小説」と褒め称えていました。
bySARA女王様